★固定資産税とその歴史★

◎政府は、この度商業地の固定資産税を引き上げないことにした。
昨年度よりコロナ感染で不況になっているから当然と言える。

さて、固定資産税の話しになってくると奈良時代の大宝律令まで
遡らないと我が国の土地所有と税の歴史は分からない。
今日は明治時代から始める。
明治5年~7年にかけて、陸奥宗光の「租税改革」で、我が国で
初めて土地に税が課せられるようになった。
その頃は固定資産税と言わないで「地租」といった。
税率は売買価格の年3%である。
地租だから権利証は「地券証」といった。
青い紙切れ1枚の伝票のようなものであった。
明治政府は財政難にあえいでいた。
これまでの税収は江戸時代と同じ「米」であった。
この「地租」と引き換えに、土地の売買を自由化した。
江戸時代土地は幕府の許可なしに売買することは許されなかった。
だから「越後屋」「鴻池」とかの有力商人しか土地は持てなかった。
越後屋だけで東京に100ヶ所の土地を保有していた。
落語の長屋の「大家さん」が出てくるが、大家は単に管理人であり、
所有者は豪商たちであった。
この地租が膨大な政府収入になり、明治政府の近代工業化と、日清、
日露の戦費を賄う財源になった。

この「地租」が戦後地方に移管され「固定資産税」という名称に
なった。
税率は評価額の1.4%であるが、法律上2%にまで引き上げるこ
とは可能である。 都市計画税は0.3%。

陸奥宗光は、紀州藩の家老の子息であったが、父が失脚したため
に浪人となり、坂本竜馬の海援隊の所属していたこともある。
彼と大久保利通がいなければ、日本の近代化は大きく遅れていた
と言われる。

あらゆる物事には「歴史」がある。
法律家も会計士も奈良時代のことから勉強して、初めて法律や税
の「変遷」と「真相」が分かってくる。
奈良時代以前は文字がないから分からない。
私見であるが不動産を「所有する」と言う言葉は正しくない。
明治政府の翻訳のミスである。
動かない土地を「所有」することなど出来ない。


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