★ハウス55計画の顛末★
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◎ハウス55とは、当時の価格で、550万円で売れる
国交省と通産省の昭和35年?40年にわたるコンペ
であった。
入選作は次の3社である。
1、ミサワホームのセラミック住宅。
セラミック(珪酸カルシューム)ユニット住宅。
2、パナホーム(当時ナショナル住宅)のハニカム工法住宅。
軽量鉄骨。
3、清水建設の大壁パネル工法住宅。木質プレハブ住宅。
私が販促を担当したのは、ミサワセラミック住宅。
専門の販社を作り様々な販促を活発にしたので年間に2,00
0戸販売していた。
ところが専門の販社を解散し、木造の販社に統合したので売
れなくなった。
現在は、ほとんど販売している気配がない。
パナホームのハニカム工法は、商品化しなかった。
その理由はわからない。
清水建設の大壁工法は、三澤千代治さんが仲介して、当時の
小堀住研に譲渡した。意外に売れた。
その小堀を買収したのが、山田電機である。
買収費60億円。現在のヤマダホームが当時の大壁工法かどう
かは知らない。
清水建設については、当時の住宅事業部の部長から相談したい
との連絡があり。
出向いて行ったら部長が「ビルなら1棟10億円だが住宅は
たかだか2,000万円に過ぎない」と愚痴を言ったので、
僕が「それならお止めになったらどうですか?」
といったら、本当に住宅事業部を解散してしまった。
既に社員が140名いたのに。
ゼネコンは当時何社も住宅事業に挑戦したが成功したとは言え
ない。
大成建設だけが、コンクリートプレハブ住宅をもう40年も前
から販売しているが、年間数百戸程度ではないかと思う。
売り方の仕組みも売る方法もゼネコンは知らない。
住友林業の在来木造注文住宅事業の創業の時から私が販促を担当
したが5年で2,000戸。10年で5,000戸。
15年で1万戸完工した。現在は9,000戸ぐらい。
同社の住宅事業の年間売り上げは、約5,000億円くらいである。
売れる、売れないの違いは、その事業に全力を入れるか入れない
かの違いである。